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韓国警察の暴力鎮圧を、糾弾したいと思います~

って、日本語で書いたって、意味ないだろうけど(笑)

ですが、韓国の雰囲気を伝えたいと思ったもので~

コピペな上、稚拙な推敲なしの適当な翻訳で、

申し訳ありません。(いつものことですが)

色つき文章が転載です。









お国の様子が尋常ではない。

市民は素手で蝋燭とピケットだけを持って街頭デモをしているわけだが、
お国では盾を振るっては放水車で水を浴びせ催涙弾まで投げてくる始末だ。

デモが起きた場合、戦闘警察が可哀相だと思われてきた理由は、デモ隊も武器を持っていたからだ。過激なデモでは、デモ隊も歩道ブロックを壊して投げたり、火炎ビンを投げたり、鉄パイプを振り回したりと、戦闘警察もダメージを受けていたからだ。ところが今の戦闘警察はまったく可哀相だとは思えん。市民を踏みつけるとは何事か。幼い学生を盾で殴りつけ、血を流させている。さらに異常なのは暴行の際に撮影されないように気をつけろ。と教育されているということだ。しかし果たして、市民の目から逃れられるだろうか。

だからって戦闘警察の全員がそうではないだろうが、今の様子は擁護したくても、たった一つ、命令どおり動くんだから…というところしか擁護できるところがない。もちろん、ずっと睡眠不足で、気分も悪いだろうさ。だからってその恨みを市民に向けて晴らすとはいったい…市民が敵に見えているのだろうか?

いちばんの問題は、やはり鎮圧しろと命令する上のやつらだ。いったいなんの根拠で強制解散させているんだ?道路交通法?私は生まれてこのかた、道路交通法が憲法より上に存在するということは知らなかった。(今になってやっと気づいた)

今回のことがどう収まろうが、現在の大統領の座に座っているやつと、1000人でもぶちこむと大声で見得を切った警察庁長のやつは、ただではすまされないだろう。すでに話し合いでなんとかなるレベルは超えてしまっているのだから。

反論したければ論理的に書いてほしい。とにかく左派だと言い張って叩くやつらにはいちいち返信する時間がもったいない。





憲法第21条
① すべての国民は言論・出版の自由と集会、結社の自由を持つ。
② 言論・出版についての許可や検閲と、集会・結社に対する許可は認められない。

集示法3条
誰でも暴行、脅迫、そのほかの方法で平和的な集会または示威を邪魔したり秩序を乱してはならない。

第82条(特別管理)
① 鎮圧装備の中で盾、電子透明盾、鎮圧棒、催涙弾発射機、催涙弾、近接噴射機、ガス車、放水車などは人の生命・身体に危害を加え得る装備のため、警察官署長の責任下において、特別な管理を必要とする。

1.盾
イ.端っこで相手の頭など重要部位を叩かないよう注意せねばならない。

3.鎮圧棒
ウ.示威隊の頭部、顔面を直接叩いてはならない。

7.放水車
ア.催涙弾発射台の発射角度を15度以上で維持して発射できるかを確認してから使用せねばならない。
イ.20m 以内の近距離示威隊に向けて直接放水砲を発射してはならない。

すでに政府は違法行為をやりつくしました。
いったいどちらが違法なんです?








アムネスティ韓国支部「警察鎮圧は暴力的、表現の自由を侵害」

[ 2008-06-01 23:49:42 ]

世界的な人権団体の国際エムネスティ(以下エムネスティ)がろうそく示威における政府の過剰な鎮圧を問題視した。

特に、エムネスティは被害事例を収集して国際社会に知らせるという方針のため現政府が国際的な恥を晒すことになったという非難は避けがたくなった。

1日、エムネスティは声明書を通じて「去る30日から1日の警察の暴力鎮圧により国民の集会と示威、表現の自由に対する国民の知る権利を深刻に侵害した」と報じた。

また、「いろんな事例と嘆願を総合すると現在の状況がとても危険であることがわかる」とし「水大砲を発射し盾を押し付け武装していない市民達を攻撃するなどの行動は、いかなる場合も認められない」と主張した。

国際人権団体エムネスティが1日発表した声明書全文국제인권단체 엠네스티가 1일 발표한 성명서 전문

[声明書] 大韓民国政府は国民達を保護せよ。

警察は一晩のうちに227名を連行し、街へ出てきた市民達を暴力的に鎮圧しながら国民達を威嚇している。5月31日から6月1日までの平和示威に対する暴力的鎮圧は集会と示威、表現の自由に対する国民の権利についての深刻な侵害である。

様々な事例と嘆願は現在の状況がとても危急であることを示している。また、水大砲を発射し盾をもって武装していない市民達を攻撃するなどの行動は、いかなる場合も認められないものだ。

国際エムネスティは現在の状況に対応するための事例の収集及び調査を進め、この状況を国際社会に知らせ韓国の人権団体達と協調しつつ可能な限りのすべてのキャンペーンを展開していくとする。すでに事例の収集は始まっており世界はまもなくこの状況を知り反応することとなる。

国際エムネスティは韓国政府に次を要求する。

-韓国政府は暴力的な鎮圧を即刻中断せよ

-韓国政府は平和的な示威に関わらず拘束されたすべての連行者を即刻釈放せよ。

-韓国政府はこの事件に対する真相を究明し、特に行き過ぎた公権力を使用した警察に法執行官のグローバル基準であるUN Code of Conduct for Law Enforcement Officialsによる対策を立てよ。

-韓国政府は負傷者を含めたすべての被害者に対する救済を迅速に実施せよ。

-韓国政府は平和的な集会と示威の権利を保障せよ。

大韓民国の政府は国民の基本的な権利を保護できなかったため世界で起きてきた事件らを思い出す必要がある。「湧き上がる怒りで立ち上がった以上、人々は決して沈黙しないだろう。これに耳を傾けない指導者達は、きっと危機に合うことになる。」

2008. 6. 1.国際エムネスティ韓国支部




人権団体が警告したって、効き目あるのかなー

昨日も水大砲がでてきてたしwww 怖かったwww

以下は、オーマイのリアルタイム更新ニュースから。



(前略)
(3日の)午前0時40分から、警察が本格的な鎮圧に出た。
(中略)
警察の強引な鎮圧で40代の男がアバラに重症を負い救急車に乗せられ
パク病院の応急室に送られる姿が市民記者の目に目撃された。
(中略)
西大門の側から押してきた警察の中で中隊長と思われる人が
「A隊形を組み教保ビルまで押し付けろ」と命令を下す姿も目撃された。
午前1時の現在、警察は市民を押し出し光化門十字路を完全に掌握した。
市民はドンホァ免税店と清渓広場のほうへと押された状態である。
(中略)
午前2時の現在、警察の鎮圧作戦が最後の仕上げに来ている。警察が押し続けた
市民達はドンホァ免税店と清渓広場などにバラバラと散らされている。
(中略)
警察は主に解散の呼びかけをしながら鎮圧をしているが、その中でも市民を
緩急をつけて連行している。警察に連行される一人の市民を記者が追いかけて
みると、戦闘警察バスの中には連行された10人余りの市民がいた。
この戦闘警察バスは連行された市民を乗せ、どこかへと出発した。
警察の鎮圧が進む中、ギターなどの楽器を持った4人の音楽グループが現れ
「愛国歌」、「生きていると」、などの歌を演奏し、歌った。彼らは戦闘警察にささげる
歌だといい「二等兵の手紙」を歌いもした。周辺の市民が「アンコール」を叫ぶと
彼らは「帰ってきて釜山港へ」を歌ったりもした。
警察は残りの市民に解散を要求したが、
市民は「大韓民国は民主共和国」という歌で答えた。
(中略)
2日午前4時から警察は光化扉プレスセンター前で再び鎮圧作戦を始めた。
警察はいきなり粉末消火器を撃ち市民を追いやった。市民達はこのような
警察の鎮圧に追いやられながらも「非暴力!非暴力!」を叫んだ。
(中略)
1日の午後4時から始まった警察との退治は12時間が過ぎた午前4時過ぎに終わりを迎えた。
(中略)
しかし午前4時30分の現在、ソウル広場では300人の市民が再び集まった。
彼らはろうそくを灯し、朝を迎えた。特にソウル広場に集まっていた100人ほどの市民は
新手の「横断報道遊び」で示威した。50人はソウル広場側、50人は徳寿宮側に赤信号のときに
待機して青信号に変わるたびに横断報道を渡り「李明博は下がれ」「大~韓民国(拍手)」などを
叫びながら行ったりきたりしている。彼らの数は時間とともにどんどん増えていった。警察にけちを
つけられない完璧な合法示威を行ったのだ。ソウル広場の周辺で車を運転していた運転者ら、
または仕事のため速く出勤していると見える運転者らは大韓民国のリズムで警笛をならした。
朝まで米産狂牛病牛の輸入反対示威を行った市民に贈る呼応と声援であった。
(後略)




以下は、5月31日の午後に、集会に出る前に、あるブロガーが書いたもの

- 毎日行っている。今日も行く。もはや慣性がついているかも知れない。繰り広げるすべてのことを見守り記録せねばという強迫に似た気持ちが強い。時間が過ぎると、殴られたところを殴られたって構わないという意地まで感じるようになった。実は傷はほとんど治っている。頭皮が少し痛む程度だ。

- 狂牛病論争で触発されたここ何日の広場集会は色んな意味で変わっている。これまで人々を広場に集まらせた力は他者(英雄)に対する憐憫や応援、支持によるものであった。それの本質が何であるかはともかくそうであった。ワールドカップの選手の勝利を祈り、ノムヒョンを哀れに思い、ヒョスンとミソンの死に怒り集まり、歓呼し、ひとつの声となった。ここには大儀、という前提がある。今の広場集会は徹底的に個人的な危険とそれに伴う怒りによる。「私」の健康が脅かされ、「私」が選んだ政府が「私」を無視することに対する問題意識から始まった。ここには長所と短所がある。この熱気は簡単には消え去らない。私益が保護されるという解明と確信がなければ続いていく。これは長所だ。ただ、この集会は大儀を共有するのが難しい。大儀を共有するのが難しいというのはそれぞれの理由が乱発し、分裂を助長されやすいという意味だ。これは短所だ。すでにこの現象は目に見える形となり起きてきている。おい、その旗をどけろ。拡声器を使うな。お前スパイじゃないのか。特定の旗と団体に対する罵倒が飛び交う。旗は利益団体と化し、使役で動く個人の憎悪を呼び、公憤を買う。

今に至って、私は指導部が必要だと思い始めている。光化門郵便局前で戦闘警察の盾にどつかれ髪の毛をつかまれ10メートルも地面を引き摺られていきながら私は悟った。人々は集まっていなければならない。左であれ右であれ、借家暮らしの人でも50階の高層ビルに住む人でも、予備軍服を着たマッチョであれ、それに反対するフェミニストであれ、関係なく、我々は集まらねばならない。ひとつになろうってわけじゃない。多くの者が壇上にあがり、私はアカではない。共産党が嫌いだ。と叫ぶ。その場で私は左翼のアカなのだと、雄たけびをあげたかった。歪んだ言論と政府の間違った言葉をそのまま引用して思想検証をする必要があるだろうか。私が左翼のアカだったらダメなのか。私が保守右翼だったらダメなのか。私たちはひとつになる必要がない。私たちはひとつでないからこそ美しいのだ。ただこの美しい多数がひとつの象徴を持って大儀を占有するためには共同の願いを推進する指導部が切実だ。私たちの国はどんな国だ。抗争までしておいて、結局はノテウを選んでしまった国である。私たちは今革命か改善かの分かれ道に来ている。私は今日集まる数万人が青瓦台の前まで行進することを祈る。ひっくり返そうってわけじゃない。青瓦台行進はその事実だけで意味と象徴を持つ。警察は数万人をどうすることもできない。人が多ければメディアがあり、カメラが登場するからだ。その細い糸を頼りに、私たちは進むのだ。止まるわけにはいかない。





この「指導部が必要」という意見は、反論を食らったりしていましたね。

(喧嘩ではなく、あくまでも討論として) 色んな意見や主張があるし、

これからこのデモがどうなるかわからない。というところが面白いです。

だから私は毎晩見に行っては、

帰宅しても個人の実況番組を見たり

現場の友達と連絡を取ったりして注視しています。

状況は時々刻々と変わっていますし、どうなるかわかりませんから、

それが目を離せない理由ですね。まともに報道するところは少ないし…

同じ人が、6月1日の夜に書いた反論の文章から ↓

(6月1日の午前~朝が、警察が一番ひどかった瞬間です)



我々は偽りの世界に住んでいる。偽りの世界が嫌いだが、本物世界を目撃する自信のない者たちは、モニターの前で「人が花より美しい」という話にも似た、非暴力の当為性を論じる。多様性の名のもとに、指揮部の必要性を否定し、キーボードでろうそくを表現している。美しくみえるが、美しくない。非暴力という言葉の重さは、現場の暴力に身をもって耐えてこそ実感できる。非暴力は正当である。しかし我々は彼らの非暴力もまた要求することができる。つい殴られたばかりの人々が戦闘警察に抗議することを、非暴力の名のもとに批判するな。身も心も傷ついた彼らの怒りを冒涜するな。相手の暴力に抗議することを非暴力という言葉の力で押さえつけようとするな。私はあなたがたの舌を引き抜きたいと思った。言葉で非暴力を語るのは簡単だ。しかし非暴力は公正でなければならない。彼らも武装を解除すること、それが本当の非暴力だ。

我々は偽りの世界に住んでいる。私は日の出のとき、安国駅にいた。私は、私の前で棍棒に殴られ、前のめりに倒れる男を見た。なんの武器も持っていない人々が全身に漫画にでも出そうな鎧をまとった警察の特攻隊により残忍にも踏みつけられる姿を見た。ため息が出るほど天気のいい休日の朝に、殴られ倒れ地面に転んだ。悲惨だった。しかしその悲惨さが真実の世界だ。我々が偽りの世界の中で安易に息をし心情的に冷静に捉えていたその暴力が、本物の世界では物理的に作用している。警察は絶え間なく「あなたがたは市民の通行を妨害している」という。この文章の中で示威隊と一般市民は無力にも区別される。しかし私たちこそが一般市民だ。その棍棒と盾の前に倒れた私たちが一般市民だ。

我々は偽りの世界に住んでいる。我々は挫けず青瓦台へと行進しなければならない。その理由は、非暴力という標語を軽々しく使ってはならないことと意味を一緒にする。キーボードの前で苦悩したってわからない。本当の世界の上に立ってみるとわかる。我々は彼らに恐怖を与えなければならない。主権が国民にあるという当然の事実で彼らを脅かさなければならない。青瓦台の前までいき、李明博の皮を剥がそうってわけじゃない。ただ、行くだけで充分である。青瓦台の前まで行進した市民の姿、そのイメージが持てる力は、大きくも広いものだ。私は安国駅でバスに乗り市町へと移動して、そこに留まっては家に帰って眠りに落ちた。いま気がついてやっと起きた。心配をかけて悪かった。携帯に水が入りうまく電源が入らない。私はまた参加する。私は少しも志士タイプの人間ではない。ただ、朝職場に出勤して、笑っている職員たちの声を聞く気分ではない。私はこれ以上偽りの世界に身をおくつもりはない。私は今、切実な革命と幼弱な改善の分かれ道にきている。




警察の弾圧は彼にとって、さらなる動機付けと作用したようです。

ここで私が言いたいのは、ろうそく集会には色んな人が集まり、

それぞれの思いがあるということですね。

上記のような人も多いだろうと思います。

上記の書き込みについているコメントから、二つ抜粋。




Re:

タイトルと内容がバラバラだし、文章も難解。

○○○も落ちたな。


Re:Re:

ふむ…あなたを全否定して叩いていた私ですが、人対人として、簡単に解説をしてあげましょう。
書き手が言いたいことは、暴力示威ではなかったにもかかわらず、暴力的に鎮圧するこの社会、
にもかかわらず何事もなかったかのように平穏な社会は異常であり、
大衆を洗脳するための仮想なのだといいたいわけです。
ノムヒョン政権のときも反FTA鎮圧で農民が二人死亡することがあったが、
戦闘警察の福祉問題が浮上し、彼らの死は文字通り、闇へと消えた。
これを偽りの世界といっているのであり、市民らが即ち示威隊なのにも関わらず
警察と政府が示威隊と一般市民を区分しようとしていること、なんの武器も持たない人が
警察に殴られ地面を這うこと、これが偽りの世界だということです。
書き手はこれを壊すべきといっています。
もちろん人により性向や意見は違うのですが
一応、この方は左派なので、それをご了承しください。
そして人々が厚すぎる反応を見せるのも、理解してほしいと思います。
私たちは示威隊が何の武器を持たなくても残忍に鎮圧され得るということを見せ付けられました。
青瓦台…はいいとしても、種閣駅などでもです。中道的か右翼に近かった人さえ怒っている理由は、
我々が知っていた常識が根本から覆されることを目撃しちゃったからです。
気を悪くしたのでしたらお詫びします。




私も、みんなで一つになる。とかじゃなくて、あくまで個人同士が集まっている感じが気に入っています。
ワールドカップなんか、うっとおしいから中止になれ。と思ってた口ですが、この集会は応援できますw

さて、昨日は警察の鎮圧開始が一昨日より早かった気がしますが、
今日は平日なため人が減っているでしょうし、さらに早くなるかも…
今日も一応行ってみるつもりですが、気をつけなければいけませんなぁ。

とにかく、気持ちや考えが伝播しやすいということは、ネットの長所でもあるが、
大きな短所であり、危険なところだと思いますが、冷静に活発に意見交換が行われる
今のネットの現状も、実に気にいっています。ゲリラ的にあちこちに分散しているけれども。

もともと韓国語ウェブはあまり見ないたちなんですが(それでも韓国人か)
最近の韓国はとても面白い。(というと不謹慎ですが)目が離せません。




戦闘警察バスに印刷しゃれた「駐車違反ステッカー」が貼られた。

内容は「この車両は違法駐車をしたため憲法第1条、大韓民国のすべての権力は
国民から出るという条項により、全民衆の力で牽引できることをお知らせします。」
と書いてある、また、「このように大きな車両は、一人の力で駐車できるはずがなく、
背後の勢力をとことん追跡し、処罰することとする」とも書いてある。




まあ、このようなノリが気に入ってるというのも、否定できませんが…(苦笑)
by no_tenki | 2008-06-02 16:01
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