私はもう二度と絶望しない

私の愛したろうそく集会を返せといった感じです。
老若男女、誰でも自由に発言でき、何でも話し合える素晴らしい場だったというのに。

正直な話、私は10代の頃までは、ずっと韓国のことが嫌いでした。息苦しい国だと思っておりましたし、社会で起きていることに興味がありませんでした。「もともと韓国はダメな国」だと絶望していたんです。

20代になり、このろうそく集会に参加した市民達を見て、やっと、「韓国という国を好きになろう」。という決心がついたんです。これからは韓国のことを勉強していきたいですし、その韓国のことを、日本の人にも教えたい。私の生まれた国だからではなく、絶望の中に希望がある国だからこそ、その希望を共有し、語り合いたいと思う。

さて、どうしようかな。これから、何をすればいいのかな。

ところで、右のプロフ画像の「キム」って、(某格闘ゲームのキャラですけれども)
あまりにも私のイメージから離れているのよね。あんな肉体派じゃないものね(笑)

告白しましょう。あの画像にした当時、私は「韓国人」だというイメージを持って、
「嫌韓」の人を釣りたい。と、思っていました。
反応が予想以上に激しくて、すぐに後悔しまくって、泣き泣きと書いていたブログですが、そういう気持ちがなかったわけではありません。ほんの少し、あったよ。その証拠が、本人とあまりにもかけ離れた右の画像だよ。

いつも素で更新してきたと思うけど、そういう考えを、最初、少しはしたことがあるので、このブログは、釣りブログかも知れない。だけど、これからは、そういうブログは一切書かない。私として、私のブログを書く。

国家は個人の上に存在しない。しかし私は、この国に生きている人々を愛することができる、という気がしてきた。だから、韓国を愛そう。そしてその韓国のことを書こう。


と、大げさなことを書いたが、何を書けばいいかわかんねーな。
まあ、しばしお待ちをです。皆様。

ps
私のろうそく集会が蹂躙される光景σです(興味のない方はクリックをご遠慮ください)


ps2
転載











29日のお昼に書かれたあるブログから、一部、勝手ながら、転載させて頂きます。






想像を絶することが起きています。長く生きると酷い目にあうといいますが、そこまで長く生きてもいないのに、たったの5ヶ月で、なぜか世の中はここまでも変わってしまいました。しかし実のところ、この状況はずっと昔から蓄積されてきた問題の表れではないかと思うのです。

私は今回のことで、本当に色んなことを考えました。私は33歳です。デモに参加せず、学生運動にも興味がなかった、95年に入学した大学生の私は、光州の事実を、6.10の原因を知っており、金大中がついに大統領になったとき、なぜか喜んでいた付近の住民達を覚えており、朴正煕、全斗煥の悪行を知っていると思っていましたが、同時に学校内の韓総連に対していいようのない拒否感を持っていたし、労働組合がストを行うと聞くとなんだか嫌な気がしたし、96年まで続いた何回かのデモを見ながら、ただ漠然と、私とは本当に遠い世界だな。という考えをしていました。それはどうしてでしょう。たぶん、とても幼い頃から、政府に反対することはアカだという教育を受け、苦しい韓国社会が発展するためには、犠牲する個人が必要だという話を聞き、そんな人になるために最善を尽くすべきだという圧力があり、新聞と放送では正当な労働運動をしようとする人々を集団暴徒だと罵倒し、激しいデモの現場で労働者が警察に歯向かう姿を繰り返し見せてくれることで、根深い暴力に対する嫌悪と、公権力に抵抗することは不当だというイメージが染み込んだからだと思います。そのほかにも理由は多いでしょう。結局、いちおう大学を終え、それなりに開かれた視覚を持っていようと努力していると思っていた私さえも、そのイメージは、まるで刻印のように根深く残っており、逃れがたいものでした。いや、逃れるつもりもありませんでした。何が問題か、わざわざ認識する必要がなかったからです。

しかしこの政府が始まって5ヶ月間、デモに参加して1ヶ月になると、私が持っていたイメージはどこかへと消えてしまいました。朝中東、政府の言論掌握、不当な公権力、言葉の意味では知っていましたが、たった1日前に、私の目の前で繰り広げられたことが、なぜそういうふうに書かれることができるのか、編集によりどう変身できるのかが実感できました。そのような放送と新聞記事が載ると、それにより株価が踊り、世論は変わります。それに不満を持って抗議し、不買運動を行うと、脅迫と告訴で対応されます。彼らには最小限の品位も、良心もありません。だから確実に知りました。彼らが今までどうしてきたか、どのように本人達の私利私欲を満たし、正当に進められるべきあらゆることにアカ、犯罪者、暴徒だという罵倒をしたかが、もうはっきりと分かりました。確かに韓総連には問題があるかも知れません。労働運動にも問題があるかも知れません。貴族労働組合だと風刺されたりもする、商売労働組合にも問題があるでしょう。しかし、そのようないくつかの問題で過大包装して大衆の前に差し出し正当な声を埋もれさせ、何も考えていない数多くの人々の頭に漠然とアカが扇動する犯罪者達という認識を埋め込ませ、切迫な声を出した社会的弱者を大衆から孤立させ、効率的に踏みつけてきたことが、もはやはっきりとわかりました。バカな話ですが、やられてみてわかりました。恥ずかしい限りです。

今も彼らはこれまでやっていたとおりのことをしています。今回はその順番が私達の番になったのです。インターネットを使い、ブログを書き、ポータルの記事を分析し、互いに意見を交わす私達になったのです。だから私達は公権力と悪法に殴られ蹴られ呻き声をあげます。あまりにも圧倒的で不当な暴力を受け、最小限の防御をしようとしても、それはいつの間にか暴徒の写真となり、次の日の新聞に載っています。彼らに揚げ足を取られないためには私達はただじっとしているしかありません。デモ現場に自転車に乗っていくと組織的な斥候隊だといわれる始末です。ただじっと座ってろうそくを持っていたら、すぐ前の人々が怪我を負うことを見て、怒って叫ぶお嬢さんたちが、最近の女子は見境無しだと批判されます。

お前らが何もしなければ殴られる必要はないといいます。出るなといっても何回も出てきて、政府に対してそれは違うと反対の声を出すのだから、殴られるのは当然だと。本当にそう思われますか。さっきも言いましたが今は私達の番です。しかしこの次はあなたの番かも知れません。あなたが非正規職となり、正当な給料をもらえずに助けてくれと叫ぶと、あなたは国家経済の害になる怠け者の暴徒になるかも知れないのです。ただ、まだあなたの番になっていないだけなのです。今回、私達の番になるまで、まったく知らなかったようにです。だから今、私たちは、仕方なく受け入れるしかない不条理なことが多すぎるこの世界で、基本的な自由と権利と人権だけでも侵害しないでくれと泣き叫んでいるのです。それを、怪我したくなければ口を慎め。といいますか。口を出すお前らに問題があるといいますか?その根深い屈従の血は誰から輸血されたのです。朴正煕?全斗煥?朝中東?

今この状況はただ5ヶ月間起こったことのせいなだけではありません。そのずっと前から続いてきた、韓国社会の構造的な問題です。だからこそ私達は、続けてろうそくを持たないといけません。間違った言論に対するボイコットを続け、じっとしていることが自由と権利を侵害してもいいという許可だと思っている人々に、続けて声を出さないといけないのです。すぐに全てが変わるはずはありません。しかし私達の認識だけでも変わるべきです。忘れないでください。結局、選ぶのは彼らではなく私達です。

諦めないようにしましょう。そして怪我も負わないようにしましょう。全ては楽しく生きるための努力です。忘れないでください。


















転載は以上です。

30日の朝、23歳の私は、反MB主義者となりました。

私はこの国の大統領を許すことはありません。最後まで覚えています。

たぶん、責任を負わせることは出来ないかも知れません。でも、それはいいのです。

私は別に復讐がしたくて、MBを許さないと言っているわけではありません。

ソウイウコトが出来ない社会を、ソウイウコトが許されない世の中を作るためには、

私だけでなく、1人1人が、何が起きたか、誰がどうしているかを知り、

覚える必要がある。ということがわかったからです。

だから私は、覚えています。

責任は負わせられないかも知れない。

別に断罪がしたいわけではない。

だけど、ソウイウコトがなされない世の中に、近づくためには、

覚えている必要があるのだ。







私は今日からMBを韓国大統領だと認めません。

彼は国民を騙し大統領のふりをする詐欺師です。

選挙の結果は認めます。

しかしこれ以上の勝手は認めません。

大統領が何でも許される免罪符ではないのです。

別に弾劾せよとか辞退せよとかいおうってわけじゃない。それは2の次だ。

私の心が、「認めない」ということ。それを宣言しているのだ。





集会参加者は知らない誰かだ。

他人のために怒りはしないし、個人的な恨みも持たない主義だ。

しかし、こういうことがまかり通ることを、野放しにしてはいけない。

それは私がとても当然と思っている領域だ。もはや基本的な観念といっていい。

だから私は、反対せざるを得ない。断固として反対する。





私は人に優しくないし、自分のことしか興味がないし、

「他人を自分のように思え」と、いわれても、できそうにない、そんな人間だ。

そんな人間が、福祉だの、みんなが幸せになる社会だの、表現の自由だの、

集会結社の自由だの、他人が意見を表現する権利を主張するなど、馬鹿げている。

そもそもそんなものには興味がない。じっとしていれば、我が身にはふりかからない。

不当な権力の暴力を受けることもなければ、罵倒され、誤解され、埋もれることもない。




だけど、そんな世の中では生きたくないのだ




だから私は私の心に従い、最後まで理想を追求することをやめません。


それは遠い夢ではない。みんなの心にすでに実現している、一時は現実そのものだと思っていたものだ。



私は私のために反対する。



私は私の自由が損なわれていると感じている。危険を感じている。



だから、他人のためではなく、私のために、私にできることをしようと思う。



NOといいたいものにNOということ。



それがその出発点だ。








上記で何回も言った「ソウイウコト」とは「暴力」だが、


それは物理的な暴力のことではない。まったく違う。


それが何なのかは日本の人も体験していると思う。


もししていないなら、慣れすぎているのかも知れない。










ナゾな独り言ですみませんでした。


いや、もともとそういうブログだった気はします。



ではでは。
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by no_tenki | 2008-06-29 05:09
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