正義は記憶を基盤にして立てられる
― アルベール・カミュ




誰かがあなたに助けを請いにきたら、
神が助けてくれるだろうと言ってはならない。
まるで神が存在しないかのように、あなたが動いて助けなさい。

― シッダ・ババ




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朝鮮日報、中央日報、東亜日報、韓国日報。これを4大日刊紙という。
新聞がぜんぶ同じだった頃があったんだ。新聞の一面をざっと開くと、
一面がまったく同じなんだ。いつだって新聞の左上端もしくは中央上端、
1面の真ん中に、写真が貼られてある。誰の写真だろうね。
そう、朴正煕、全斗煥の写真が張られてあるのさ。
…北韓(北朝鮮)の話に聞こえるだろ今?

― 이현先生の講義σから抜粋




今回の大選(*2002年の大統領選挙)の最も大きい意味?
前回の大選は政権交替でした。それは大韓民国の建国以来、
初の水平的で平和的な政権交替だった。それが一番大きい。

今回の大選の意味は…、私は、機が熟したと見ています。
なんの機かというと、韓国人らが持っている変な迷信が一つある。
特に歴史を専門とする方々が、あまりにも過去の歴史に
打ちのめされているためにそうなのですが、韓国人は、
とてつもなく保守的だ。という迷信を持っているのです。

迷信。特にエリートたちが持っている迷信です。そのために、
韓国人は保守的なので、私はこうこう行動すべきだと、
自分の行動に影響を受けます。信ずることによって。

今回の大選の結果を見ると?必ずしもそうではないんです。
ならばどういうことなのか。大韓民国の言路、言葉の道の構造そのものが
民心がまともに反映されない、メディアシステムを持っているということです。

だから今回の大選で、私たちがこれからも問題視すべきものは朝中東なんです。
朝中東の市場占有の持分があまりにも高いため、その三つの新聞がどんなふうに
民心を誤導し、隠蔽し、操作を試みてきたのか。たとえ効かなかったとしても。
大選はともかく、ほかの生活の領域では相変わらず影響力を行使しているのです。

しかもエリートたちは、朝中東特有の論調と方向と指針から自由ではいられません。
民心は朝中東の色とは遠く離れているものの、社会全般で力を振るっている人々が、
朝中東の機嫌を伺いつつ、そちらに迎合しようとする嘆かわしい行動を取ることで、
実際に国民が持っている改革姓と進歩性は死んでしまい、
韓国人は保守的だと信じ込み、保守化へと向かうのです。

― 記者の質問に対し、강준만教授σ(02:36から)




盧武鉉と朝鮮日報の戦いには、大韓民国を半世紀間、支配してきたアンシャン・レジーム(旧体制)の命が掛かっている。あるネティズンの表現を借りれば、私たちはバスティーユ監獄を壊したが、アンシャン・レジームを解体することはできなかった。国民は6月抗争によって軍部独裁を終息させ民主化の扉を開けることに成功したが、強固な同盟を結んだ極右言論と極右政党の思想的・政治的支配から社会を全面的に解放させるまでには至らなかったということだ。朝鮮日報を相手にした盧武鉉の戦争は、このアンシャン・レジームの解体に狙いを定めたものだ。

- 盧武鉉はなぜ朝鮮日報と戦うのかσ
(유시민著、2002年刊)から抜粋




当時は初等教育も義務教育ではなかった。1944年に日帝は朝鮮半島で徴兵制を実施しながら、名目上の反対給付として義務教育の実施を公表した。兎にも角にも学校に入ってみると、簡易学校から移ってきた学童たちが多く、九歳、十歳が普通だった。自然に一番小さかったため、一番前の席に座った。少し大きい地方で学校に通った同年代の中には、当時、国民学校の入学のときも簡単な試験があったという者たちがいるが、私にはそのような経験や記憶がまったくない。入学したとき、男子班が二つ、女子班が一つだったし、一学年三班制も、下級学年の場合のみがそうだった。したがって曾坪面では支援者が学年の定員を超えなかったゆえ支援者すべてを入学させたためだろう思う。1学年のときの担任は金村先生で、朝鮮人だった。彼から初めて日本の言葉、仮名を教わった。日本の言葉を教える必要のために、当時の1学年の担任はすべて朝鮮人教師の分となっていた。その前年までは国民学校でもいわゆる'朝鮮語'の時間が週ごとに2時間ぐらいは配当されていたが、1941年から全廃になってしまった。そのためハングルがわかるようになったのは解放後のことだ。最初は漢字を教わり、続けて日本語の教育を学校から受けたので、私の基礎的語文教育は中国文字、日本仮名、ハングルの順で進んだことになる。

1学年の教室で、最初は私たちの言葉を使ったが、すぐに日本語に切り替わったが、大きい不便はなかったと思う。図画の時間の初めての時間に、図画教科書の最初のページにあった日章旗を描いたことを思い出す。教室の正面の壁には日皇の居所へと入る二重橋の写真が掲げられてあった。当時は創氏改名が完了段階に至っていたので、学校ではみんなが日本式の名前で呼び合い、例外は一人もいなかった。家ではもちろん本名を使ったが、学校では柳本正雄になった。学校の正門に入りもう少し進むと右奥に木の荷を背負い本を読みながら立っている男の銅像があった。荷物を背負って本を読んでいる篤農家、二宮尊徳の銅像だが、登校のたび私たちは彼に向けてお辞儀をしてから通っていった。運動場で開かれる全校生朝会のときは、まず初めに東に向けて宮城遥拝をした。それから皇国臣民の詔書を一斉に大声で唱えた。1.私たちは大日本帝国の臣民です。2.私たちは心を合わせて天皇陛下に忠義を尽くします。3.私たちは忍苦鍛錬し、強く立派な国民になります。このとき使われた忍苦鍛錬という言葉は、体操時間や作業時間に教師たちが頻繁に借りて使うお決まりの言葉になった。作業をやらせながら、これも忍苦鍛錬のためだといった具合だった。つづけて校長訓話があった。土橋という姓のメガネをかけた日人の校長だった。コノテカシワの生垣に包まれた校長私宅が学校区内の片隅についており、いつも彼は学校に住んでいるようなものだった。ただ校長先生と呼んだが、彼の性を覚えているのは、成績通信票に校長の名前が印刷されていたからだ。担任教師の名は、その下にゴム判子で捺されていた。校長の名前は思い出せない。

入学した年の12月8日に、日本は真珠湾を奇襲攻撃した。配達された新聞を囲んで親たちがこれからどうなるんだと心配に満ちた対話を交わす場面が目に浮かぶ。家では《京城日報》と《朝日新聞》を見たが、朝日は年取った日本人が日本の服を着て配達した。市場で小さな店を営んでいるとても背の低い人だった。第1面の上端にいわゆる宣戦詔書が載っていたが、今も目に鮮やかだ。それがそのときの視覚的記憶なのか、その後にたまに新聞にお目見えしていたものの複製記憶なのかは判別し難い。その頃から生活が徐々に悲惨になっていくことを実感できた。まず菓子類が店から姿を消し始め、キャラメルや飴玉のようなものも見当たらなくなった。砂糖が消えたのだ。お膳には米や雑穀の代わりにじゃが芋が増えた。海苔もなくなり、モヤシスープや唐辛子の葉を乾かしたものと大根の切干が最高のおかずだった。(中略)ゴムまりなども消え、できる遊びはジェギチャギとジャチギぐらいしかなかった。戦争初頭にはシンガポール陥落時の勝戦記念品だとして庭球のまりに似たゴムボールを数個ずつくれたものだ。また、彼らの開天節に当たる紀元節に、餅を二つずつくれたものの、一つに減り、結局それすらもなくなった。戦争の勃発で日常にもう一つの儀式が加わったのも忘れられない。正午のサイレンが鳴るとどの場にいようとそこで立ち、国のために戦って死んだ戦没将兵のためのモクトー(黙祷)をしないといけなかった。学校区内ではこの黙祷の儀式が厳格に守られた。私たちがいま黙念と呼ぶものが黙祷だった。

― 유종호著、私の解放前後1940-1949σから抜粋




カン先生は日帝の国語抹殺政策が始まり、学校から去った。なのにあの方は教職を剥奪されてからも国語守護を続けたため拘束された。学校の外で学生達を集め読書会を設ける一方、夜学を開き国語を教えたのだ。あの方が逮捕された理由は国語を教えたということだけでなく、赤色思想を注入したという嫌疑だった。その真偽が不明なまま、あの方は解放になるまで5年間も監獄生活をした。あの方の顔を見たこともない学生達の間で、あの方の存在は尊敬心を超えて神話や伝説として生きていた。先輩達の慎重で秘密めいた話は地下水になり、後輩たちへと流れ落ちていたのだ。ほとんどすべての朝鮮人の先生達が皇国臣民の精神を叫ぶ中、カン先生の存在は学生達の間で目映い光だった。朝鮮人の先生達の中でも特に強く皇国臣民の精神を叫んだのが英語先生のパクヘイルだった。彼は自分が英語を専攻したのは敵国を知らなければ敵を倒せないためだと念を押す一方で、学生達にも英語の勉強をする理由はそこにあるのだと捲くし立てた。しかしその言葉を信じる学生は一人もいなかった。彼が英語を専攻したときは米国が日本の敵ではなかったという事実を、学生達はあまりにも容易く知り得た。'大東亜戦争'の勃発で米国が敵国になると、英語先生は自分の微妙な立場を弁護するために、その厚かましく稚拙な話をしゃべりちらし始めたということぐらい、学生達は見抜いていた。英語先生はそのほかにも、日本族の優越さと、朝鮮族の劣等さを比較対照しながら授業時間を浪費したり、神社参拝に誰よりも熱心だと見せようとしていたし、聖戦の勝利のための軍事教育の必要性を、訓育主任が色あせて見えるほどに力説しつづけた。そして、日本はこれから二百年以上、朝鮮を含むアジアの宗主国になるだろうといって憚らなかった。二百年という根拠がどこからきたのか学生達は問い質すこともできず、その長い歳月に圧倒され暗澹となるばかりだった。そして英語先生パクヘイルを憎悪しつつ、国語先生カンウォンボンへの尊敬心を増させていった。

ところが解放になった。警察署が学生達に占拠される状況の中で、英語先生パクヘイルが無事のはずはなかった。彼は素早くその日から身を隠してしまった。学生達が家へ押し寄せたときは彼はすでに家から去っていなかった。彼の場合とは反対に、木浦刑務所から解放された国語先生カンウォンボンは朝鮮人学生達から熱い歓迎を受けながら再び学校に戻ってくるようになった。邑ごとに面ごとに人民委員会が組織され、新たな国を建てる準備が忙しく進まれている社会の流れに従い、学校も新たに生まれる雰囲気が手伝い、学生達はパクヘイルなどは忘れてしまうようになった。ところがついに順天地域にも米軍政の中隊が進入するに至った。十月末のことだった。未だに人力車が通る道に米軍のジープ車が警笛を騒がしく鳴らしながら走り始めて半月ほど過ぎただろうか。それまで姿を現さなかったパクヘイルが米軍ジープ車の後部座席にポツリと座っている姿で人々の前に現れた。彼が通訳官になったということに誰もがすぐに気づいた。(超・中略)自分の身の危険を防ぐといって拳銃を隠し持って歩くパクヘイルも、自分達の役に立つ人ならば、それが民間人であれ警察であれ誰彼かまわず銃を持たせる米軍も、どっちもどっちだと人々は話した。米軍のそのような行いはもう一つの不信を重ねるきっかけとなった。順天を占領した米軍が真っ先に始めたことは日政時代の警察勤務者たちを探し出すことだった。自分達の行いの報いを事前に察知し、どこかへ逃げた彼らを見つけ出そうと、米軍達が山へ入るなどの騒乱の数々が、彼らを処罰するためではなく、再び採用するためだという事実を知るようになった人々は、そのような米軍の行いに反発する一方で、酷い不信を抱くようになった。



「キム先生、それは少し御幣のある言葉です。特性なら良い点のはずですが、殺人を厭わないアカの思想をすっかり隠し、教育者のふりをしていたことが、どうして特性になりえますか」

「ソンウ先生、私は国語専攻ではないので言葉には詳しくありませんが、良い点なら長所という言葉もありますし、特性といったのは、ほかの動物と違って人間だけが持つ特徴という意味で話したのです。私はカンウォンボンとユインチョルが隠していた意外性に驚きません。そして彼らが隠し持った思想を悪いとも考えていません。ソンウ先生が社会主義思想を忌々しく思っているのも、彼らが資本主義思想を敵対視することも、結局は画一主義であることには変わりありません。私が驚いたのは、彼らが銃殺をされたという事実です。考えてもみてください、主義を掲げて互いを仇だとしているこの地の悲劇が何に役立っているのかを」

殺人を厭わないのは左翼だけでなく右翼も同様であり、正確に順序立てて並べれば殺人的な暴力を振るったのは右翼が先だという話は、そもそもする気にもなれなかった。

「なら、キム先生の話の要はなんなのです?今のところ、どっちつかずではありませんか」

「その通り、私はどちらも選びません。それも厳然とした生存の方法として尊重されるべきです」

「それは国法に背く、とても危険な思想です」

「ならば危険でなく、安全なことは何なのです?ソンウ先生のように、透徹した反共主義者になることですか?」

「私はそんなんじゃない。私たち自由民主主義体制が共産主義体制に勝つためには、皆が西北青年団を見習うべきだということです。今回の件を見ても、警察は比較的マシですが、軍人達はダメです。アカどもを根絶やしにするには今が絶好の機会だというのに、軍人達は捕まえたやつらを徹底的に締めず、半端な調査をしてから解放してやっている。アカどもを容赦なく処断し根絶しにするには、西青だけが頼りなのです」



カン先生は、ただ黙々と学生達を教えるだけで学校生活をしていった。少し年を取っているせいもあったが、先生達の間でも、ある意見の衝突などをまったく生んでいなかった。数人ずつ集まれば世の中の話になるし、そうなると政治の話に変わり言い争いになることがあったが、カン先生はそんな席にそもそも入らなかった。そして学生達にも、いかな思想的な言行もすることがなかった。ところで、その方が今回、銃殺され、この世を去ったのだ。キムボムウがショックを受けたのは、カン先生がこれまで完全に存在を隠蔽して思想活動をしたということではなく、あの方が何も成し遂げずに空しくこの世から去ったという事実にあった。あの方が思想的に左翼だったということは、人生の軌跡からいくらでも推察することができたし、それが誰の目にも明らかにならなかったことは、それだけ重さのある人物だったという反証かもしれなかった。なのに今回の事件であの方が死んでしまったことは、ただの個人の死ではなく、共産党が米軍を相手に繰り広げている戦いの方法的失敗が生んだ無謀な犠牲に思えた。

― 조정래著、太白山脈σ第1巻から編集・抜粋




ある意味を伝えます。繰り返し。私たちが日常的に読んでいる新聞らは、
70%ないし80%の情報量が、同一の視覚、同一の利害関係、
同一の世界観、同一の作業方式を持つ人々によって
掌握されています。そうですよね?
それと違った立場を持つ情報提供の主体は、とても少ないんです。
そんな状況の中で私たちは生きていますが、それに中毒されません。

なぜか。別のメディアが存在するから。インターネットなどもある。
市場占有率が50%の新聞と10%の新聞も同時に見比べられる。
それで多くの部分で、インターネットというニューメディアを通じて、
新聞というテキストメディア、伝統的メディアの偏向性を、
各個人が、ある程度は克服していくことができます。
それに放送もまた、新聞とそっくりではありません。

もし、このすべてが、一人の手に掌握されれば何が起きるかということです。
今の新聞市場は、朝鮮・中央・東亜日報が完璧に掌握できていますが、
彼ら、その新聞を運営する人々は特定の世界観を持っており、
特定の価値体系を持っており、そして自分の持つ価値体系や志向を、
国民に伝えるべきだという目的意識を持っており、単に目的意識を持つだけでなく、
その目的を貫くために、かなり論難のある方式で、情報を加工しているのが事実です。

― 유시민、'公企業民営化とメディア法'講演からσ




ならば太平の御世は成し遂げられたのか、そうではありません。
未だに民主主義の危機は相変わらず存在しています。
民主主義は実際に、世論に支配される可能性が極めて高い。
世論は言論が支配し、言論は市場を支配する勢力が支配するのです。

いま、民主主義は価値の危機に直面しています。
政治は価値を追求する行為ですが、市場は利益を追求するものです。
この市場が私たちの政治を支配するとき、価値の危機が発生するのです。

市場を支配する人の正当性は、どこから起因するのか。
どこに根拠があるのか、言論の正当性はどこを根拠にしているのか。
単に金が多いということのほかには、正当性がないではありませんか?
それで民主主義の正統性の危機が発生し、権力が市場と言論に分散され、
その権力が拡大されることで、民主主義の正統性に危機が訪れているのです。

代案はなんでしょう?経済問題で消費者主権の理論があります。
とても実現し難いことだと諦めてしまう人々が多いでのすが、
私は決して諦めてはいけないことだと考えています。

消費者の覚醒した行動、団結した行動は相当な力を持ち得ます。
市場で、そんな対処をするように、この政治の領域でも、やはり
市民民主主義、市民主権運動をすべきなのだと私は考えます。

- 2007年6月2日、参加政府評価フォーラムの月例講演にて、노무현大統領σ(1:05~2:58)




もちろん、意図的に人を虐待したり、破滅させたりするのは高尚な行為ではない。
また、自分に頼るようにしむけた人たちの欲求を無視するのもよくない。
あなたの仕事は、彼らを自立させること、できるだけ早く安全に、
あなたなしにやっていきなさいと教えることだ。

彼らが生きるためにあなたを必要としているかぎり、
あなたは彼らにとって祝福とはならない。
あなたが必要ないと気づいた瞬間に、
はじめて祝福となる。

同じ意味で、神の最大の瞬間は、あなたがたが神を必要としないと気づいた時だ。
わかっている、わかっている……
このことは、これまで教えられてきたすべてに反すると言うのだろう。
だが、あなたが教わってきたのは怒りの神、嫉妬の神、必要とされることを必要とする神だ。
それは神ではなく、神性であるべきものの神経症的な身代わりにすぎない。

真のマスターとは、生徒が一番多い者ではなく、
最も多くのマスターを創り出す者である。

真の指導者とは、追従者が一番多い者ではなく、
最も多くの指導者を創り出す者である。

真の王者とは臣民が一番多い者ではなく、
最も多くの者に王者らしい尊厳を身につけさせる者である。

真の教師とは知識が一番多い者ではなく、
最も多くの者に知識を身につけさせる者である。

そして真の神とは信者が一番多い者ではなく、
最も多くの人々に仕える者、したがって他のすべての者を神にする者である。

それが神の目標であり、栄光である。
信者がもはや信者ではなくなること、
神とは到達できない存在ではなく、
不可避の存在であることをみんなが知ることだ。

- 神との対話(サンマーク出版/刊 吉田利子/訳)




「私が他の政治人と違うところは、権力を最頂点だと考えないということです。政治権力は権力の一種類に過ぎず、一つの過程に過ぎず、真の意味での権力は、市民達の頭の中にあります、真の意味では。」

「やっと理解ができそうです、なぜ任期末にも、挑戦し続けるのか。」

「政治権力が万能ではないのに、あまりにも多くの人々が政治権力を最頂点だと考え、政治権力至上主義を持っています。そのため何度も'そこ(大統領)が終わったら降りるだけ'といいますが、政治権力が最後の終点ではないのです。」

「結局、権力から去るのではなく、真の権力の中へ再び入られるのだと、市民社会の中へと?」

「はい。」

大統領は私をじっと見つめながらいいました。

「今日、私がしたかった話は、その部分です。」

2007年8月31日、5時間のインタビューの最後の言葉はそれでした。

- [OhmyNews]人物研究盧武鉉⑨σから抜粋




「じゃが、真の王家根絶やしなど、
 お主の生まれる何世代も前の話。
 そんな過去のことで何が復讐じゃ。」

「たとえ時の流れによって、王家交代劇が人々の心からうすれ、
 過去のものとなろうとも、この国が日ましに魔道国家として
 姿を変える様を目の前に、誰がだまっていられるというのだ!」

「何を血迷っておる!そなた達は、我が認めてやった、世界で最強の究極戦士だ!
 それも我の導きがあったからこそ、手に入れることのできた力なのだ!
 愚か者達めが。ここは我の創造した世界だ。
 我の管理なくして、この先、何が築けるというのだ?」

「やってみなくてはわからぬ!」

― ガーディアンヒーローズ




政治家はウソを用いて真実を隠し、
芸術家はウソを用いて真実を語る。

― おれ(*ウソです)




ところで、このウソには驚くべきところがある。この古いウソは、それを信じる者たちにだけは、平安と安息を、愛を、希望を、ある主観的な意味での完成をもたらしてくれるからだ。だからとて、それがウソだという事実が変わったり薄れるわけではない。しかし、彼らに同じだけの質量の希望を与えることもできないというのに、私達は、はたして、そのウソを信じる人々を責めることができるのだろうか。難しいであろう。

― ないしょです(*特に意味はない)





































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by no_tenki | 2009-07-01 01:11
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