ホワット・ア・ワンダフル・ワールド

ブログを終えるにあたって、反日だの親日だのという話に立ち返らないわけにはいかないが、私はこのブログで特別新しいことを言ったつもりはなかったし実際にありふれたステレオな話をしていた。半月城とかいう変な名前の人(失礼)のサイトでこんな記述を見つけた。私が言っていたこととまったく同じことを話している。いわゆる日本が統治していた時代というやらは、韓国「内」では政治的に敏感なところなので勇気を持ってちゃんと教える人があまりいない。当時は知らなかったが、中高生時代に歴史の勉強で印象に残ってるのはごく近い歴史ぐらいで、日帝時代などおろそかな感じだったのはそれに起因しているのだろう。私は日帝の支配に対してわざわざ問題意識を喚起させるようなことを言う教師を大学で初めて見た。歴史の教師でもなく国語の教師だった。その時代に感じたことや経験したことを作品にした作家たちのことを話す際に、その生い立ちを説明する過程で必然的に日本の支配の偽善性を話さざるを得なくなったわけで、別に日本帝国への敵意に満ちてて声をあげて主張してたとかじゃなく、バランスを取る感じというのか、歴史を一面的に教えたくはないために、最小限のブレーキをかける努力のような感じの、ごく短い説明を付け加えることがあったのだ。何せいまどきの大学生なんて暗くていやな昔話は好かないのだ。金になる話、強者の話が好きなのだ。そんな中で、弱くて愚かな民衆とやらの声が、時代に埋没されて完全に消えることを防ぎたがっているような、そのか細い抵抗みたいな国語教師の声が、私の胸を打った、最初で最後の反日教育(?)である。中高生だってそうだ。試験に出るところを暗記するぐらいしか歴史の勉強の意味はない。点数以外の何にも興味がない。歴史の教科書なんて'こんなもの'(←後日リンク予定 笑)だ。本当に歴史に興味を持つとか歴史観的に反日だの親日だのになるってのは別の要因によるものだ。

私は10代+20代初めのころまで(つまりこのブログをはじめる頃までかな)日本に対しては羨望しか抱いていなかったし(いまの日本はいろいろと進んでいる国だって感覚かな。べ、別に、サブカルもといオタク文化のせいばかりじゃないからねっ!)日本が統べてた時代については上の世代の影響もあって(と、一概には言えないが)快くは思ってなかったが、そんなのはもちろんどうでもよくて、まあ、なんにしろ特に何も考えてないごくありふれた20歳そこそこだった気がするし、あまり真面目な学生じゃなかったが教科書をわざわざ見ないようにしたり授業拒否をしたわけではないし試験で欠席をしたことはないはずだが日帝時代のことを良い意味でも悪い意味でも真面目に教えられた記憶がない(何が教科書に書かれていたかは覚えているものの意味を見出せるように教えられた記憶がない)ということは棒読みでスキップされたってことで、試験にも比重がない上に教師も教えたがらなかったということだが、日本のネットには韓国の国史教科書がアップロードされてあるらしいので、次は試験紙などを入手して、反日教育のより詳細な実態を明かしていってはどうだろうか。と思うところ。







私はほしい日本語の本(マンガ含む)ができたら、できれば新刊で取り寄せることにしているのだが、特にほしいと思ってたわけじゃないけど本屋で見つけて買ってきた。という楽しみを得るためには本屋に出かける必要があるわけで、しかしソウルでも日本語の本がずらっと並んでるところは何店かの大型書店ぐらいしかないわけで、そんなところブックオフ・ソウル駅店はたまに立ち寄れる本屋の一つとして重宝するところだし、ほしかった本を見つけたか気になる本があった場合、わざわざ取り寄せるのは面倒なのでそのまま買ってくることにしている。それぐらいいいやろ?あと、金のない幼い学生が安く日本語の本を買っていくっていいことやと思うで。レートもあれやしな。中古本屋万歳!…おっと話が脱線した。

当ブログの常連の方が、とてつもなく信頼していて「読みもしないで批判するな」と言ってた作家さんの本もブックオフにあったので、どうも他に読みたい本たくさんあるのにそんな胡散臭い本に金出せるかよ。と思ってた俺としてはずいぶん助かる。さっそく立ち読み。拾って開いたら一発で反日教育の話が出てきたんだよ。(ビンゴ!)作者いわく、韓国の著名人や教授の中には、韓国優越主義というか、日本を見下しているような人がたくさんいて、気を悪くしたが、それもすべて、教科書で百濟がどうのと教えてるためだというのだ。そんなわけあるかよ。時間がもったいないので閉じて元の場所に戻した。でもこんなの鵜呑みにする人がいるんだよな。すごくたくさん。

著名人で社会的な地位を持っている人で、国粋主義者がいるのは韓国だけか?まあ、それはともかく、作者がそんな人のせいで嫌な思いをして韓国社会の矛盾を感じたのなら、そこまでは信じてやるとしても、韓国社会を経験しているのならば、教科書がそうなっているから。と単純に結論付けるのはできないはずだが。私も高校時代の知り合いに、大学院生で(学校での)仕事がバリバリできて影響力を持っていたが日本を見下しててことあるごとにバカにしているような男を知っていたが、(当時は小泉総理の神社参拝が話題だった頃で、彼はおれの髪型が小泉総理に似ているってからかってたなぁ…)日本だけでなく先輩とか通りすがりのおっさんとか韓国の有名人とかあらゆる人をコケにしてたってことは置いといて、日本をバカにするってのも2次大戦のときの日本の戦闘機はどうのこうの言ってて好き好んでそういう情報を見つけてバカにしてるようだったし、それは教科書云々以前に彼の性質によるものだったことは間違いないと思うのだが。あと教授とか学会で力を持っている人がそんな主張をする場合は、派閥とかどうなっているかを考えてみる必要があるよな。そちらも純粋な研究者の世界というより政治じみているところがあるから。(特に歴史は)とにかくいろいろ考慮すべきところが多いのに、すごく短編的な経験を述べた末に「教科書が反日だから」と結論付けている。その記述を見て、「ああ、なるほど、この人が日本の人の主張を借用しているのは確かだな」と納得した。大学で変なことを言うのもうなずける。自分では何も考えていないのだ。(本によってバラつきがあるのかもしれないが)自分の経験に日本の人の主張を混ぜているのは間違いないように思えるし、経歴詐称の理由もうなずける。信憑性UPの必要があるわけだ。これ以上書くとまた人格攻撃だといわれそうなのでやめておくが、こんな「単純思考推薦本」の内容を妄信している人々の気がしれん。単に韓国出身の韓国の「反日」の被害者の本だから。ではなくて、別の理由があるはずなんだが。やっぱり単純思考に陥るのが好きだからじゃないのか?そうすれば痛みからも悲しみからも目を背けていいしね。




親日だとか反日だとか、ただの便宜上の言葉だろうに、あらゆることを親日と反日という謎の基準で判断しようとするんじゃない。いや、別に謎じゃないけど、物事を曖昧にしたり、単純にしたり、または捻じ曲げるような行いじゃないか。なんでもそういう変てこな定規で測ろうとするのって。

お前らが「金持ちは親日」だとか、「年寄りは親日、若者は反日の傾向がある」とかいう、傍から見ると自己暗示をかけているようにしか見えないへんてこりんな主張をしたがるのも、物事を単純化して、自分で納得できる考えを保ち続けるための方便でしかないんだ。世界の痛みを直視して引き受けるつもりがないから、誰かの考えた気楽な世界観と考えに頼って、甘えていたいだけなんだ。韓国・朝鮮は何々だ。日本は何々だ。って単純に考えて、余計なことは見たくも考えたくもないんだ。たとえ韓国が日本を悪者にするような反日教育をしているとしたってさ。お前らにそれを非難する資格はないんだよ。気楽な見方をやめて、痛みを引き受ける覚悟をしないかぎりは。

私は子供の頃から韓国は糞な国だって思ってて、でも日本見てると韓国だけじゃないことがわかって(お前ら見てて、って意味じゃないから誤解しないでね。もっと込み入った話だから)結局、人がなんとかするしかないって思うようになったし、それで最近、お前から見たら「反日」だと思われても仕方ないような、お前らの基準によると間違いなく反日だし私もそれでかまわないと思うような、積極的な反日になっちゃったんだけど、私的には、別に日本は関係ないんだよね。私は韓国vs日本をやっているのではなく、個人vs組織とか個人vs資本といったような感覚のことをやろうとしているわけだし、しっくり来る言い方がまだわからないんだけど、みんなも試しに、日本が朝鮮に何か悪いことをしたとか、良いことをしてやったとか、そういう世界観から離れて、当時の朝鮮と日本の資本家が人々にどんな偽善を振りまいたか。というような感じで考えてみてはどうかな。ま、どうでも良いんだけど。それより私がこれから韓国の親日派を非難していくことになっても、それはお前らが思い込まされているような「親日」のせいでも、過去の行為のせいでもなくて、今もなお譲ろうとしない不公正な権力の持ち主が、たまたま韓国では親日と呼ばれる人たちだった。というふうに考えるに留めてほしいんだよね。いわゆる「親日派真相究明法」を推していた人の中にも、叔父とかが親日(=日帝の支配に協力)だった人が多いし、それ自体を咎めたいわけじゃないんだ。それを隠して、歪曲して、偽善的な方法で富と権力を正当化するやつらの実情を暴きたいけれど、それを処罰すべきかどうかは別問題。俺は偽善や隠し事が好きじゃないだけだ。権力に固執する利権集団が好きじゃないんだ。韓国ではそれの代表格が親日派になってしまったが、関係のないことだが、もし日本の統治は韓国(朝鮮)のために良いことだったと思っているのならば、韓国の親日派(=守旧集団)を擁護してはいけない。彼らの行いのせいで、韓国で親日派はとても悪いニュアンスを持ってしまっているのだから。当時の日本のせいじゃなく、今の朝鮮人のせいでそうなってるって、お前らにとっても、嫌だろ?彼らの味方をすることないよ。彼らは日本が好きとかじゃなくて、自分らが生き残るために日本を利用したんだし、今もそうなんだ。「強い、金持ってる、自分らの利益を守ってくれる」という理由で好かれるのが、本当に好かれていることだと思うなら、それがお気に召すのなら、韓国の親日派を擁護してもかまわないけれど、そいつらのせいで、ふつーに日本好きなだけの人までもが肩身狭くなったりするんだぜ?(まあ、ネットぐらいでの話ではあるが…)



めっちゃ脱線したので、「反日教育」の話に戻ろう。私には日本人のネットフレンド(?)が何人かいて、いまは疎遠になってるんだけど(っていうか私がわざわざ距離を取ってるな…)昔仲良かった友達がいて、なんか韓国はネトゲが流行っていてすごいとか、韓国に対して良いイメージ持ちすぎてたので(別にリップサービスでもなかったはずだよ。たしか)「それは違法ダウンロードでパッケージ市場が上手くいかなくてネトゲのほうに投資が移ったんだよ…」的に話してやったけれども。まあ、とにかく、韓国に何故か羨望を抱いてた子だったんだけどニホンちゃんのサイトを見せたら(おれは「なんだこれ、ひでwwワロスwwなにこれ書いてるやつらwwって感じで見せたんだが)彼はそれにハマってしまって、今はあちらの人だ。たぶんおまえらの仲間だよ。人ってわからないねー。…うんで、お前らの言ってることって、韓国の教科書(または反日教育)が、この場合の「ニホンちゃん」のような効果を持っているってことになると思うけど、合ってるかな?あ、違ったか。韓国は「反日」が空気のようなものだから、生まれてから洗脳済みなんだっけ。あ~あ、怖い怖い…。…まあ、別に「おれが証拠だから目を覚ませ」とかいうつもりはないけど、一応主張してみるが、お前らから見て「反日」に思える人になるのは、私の場合と同じように、反日教育のせいではなく、能動的な決意みたいなものだし、それはお前たちの考えるような親日・反日の定規では、測れない、測ってわかった気になってるけど、本当は違うものなのかも、しれない。ということを、書いておきたい。信じる/信じないは強要しない。好きに考えて、自分で経験して判断をすればいい。最近観た映画の台詞を借りよう。「誰も信じるな。俺の言うことも信じるな。あんたが直接犯人を見つけろ」

私は「自分で考える」ということをしたがらない典型的な愚民韓国人だ。だが、お前らは違うはずだ。誰かが提示した気楽でわかりやすい考え方に寄りそうような真似は、偽善とウソを絶対にゆるさないお前らのことだ。決してそんな妥協はしないだろう。その過程で痛みとストレスが伴うとしても、自分で見て考え、自分で世界のありようを探っていくのがお前らの使命だ。ある者たちは、世界に自分の考えの「証拠」をばら撒き、お前らに考えさせるふりをして、自分の考えに寄り添わせようとするだろう。またある者たちは、お前らの知らないことを知っているように振る舞い、本当は考えていないくせに、すでに結論付けた主張のための主張でしかないことを、まるで真実のように語るはずだ。そしてお前らは自分で考えた気になって、他人の考えに寄り添うことになる。

このような状況で重要なのは、真実がなんなのか云々以前に、真実を追求しようとする、難しくても自分で真実に向かおうとする、意思と覚悟だ。そして、今の世界の有り様を見つけ、見つめたとき、それに悲観して諦念するんじゃなく、それから目をそらして気楽な世界に逃げるでもなく、そこからどんな世界に向かってほしいのか、考え、願おうとそる、意思が重要なんだ。なんでこんなポエム染みた話をわざわざ書いているのか。それは、お前えらは偽善やウソや卑怯なことには向かない、向かいたいと思わない、そんなやつらだろうと思うからだ。正直が好きだからこそウソを批判するのだと思うからだ。もし腐った大人たちのように、自分のウソを隠すために人のウソを非難するなら、いよいよ救いがないのだが、お前らはそんなんじゃない。まだ何も始めちゃいないから、自分の人生を選択できるし、これからの世界の向かう先をも選択できる。

お前ら、お前らと言ってきたけど、お前らというのは、結局はおれのことだ。私は自分で考えるということをしたがらない韓国人だ。しかし、自分で考えるということを始めるならば、そこからは新しい世界が始まるだろう。冗談ではなく、もし、世界が人々の願うところに向かっていくのだとすれば、そのために技術の発展や社会の進歩があったのだとするならば、結局、考えることからすべてが始まるのだ。自分で世界の行き先を考えるのだ。その考えを人々が選ぶかは別としても。

もう昔のようにこんなバカブログを書くことはできない。あまりにも遠いところに来てしまった…気がするけれど、本当は立ち止まっているだけのようだ。私は自分が相変わらず何も考えないで好きなように書き散らしていることに気づく。私はその「私の限界」を晒す。どうせ特に何も考えてないやつだ。ちょっとお前らに反発してみたかっただけだ。しかし今は同士意識を感じる。矛先が違うとは思うがな。余計なお世話だと思うけど、国単位で物事考えてると別の単位の数え方がわからなくなるんだぞ?本当に余計なお世話だった。やっぱり自分語りをしよう。自分語り。ここでしてなんになる。別のとこでやれ。じゃあどうしようか。ここでできることは何かな。

ということで、私は人の言葉や考えを掻っ攫ってくることになったし、それには確固たる目的もあるのだが、目的に届くかどうかは謎だし、正直、自分に届かせる気があるのかも疑わしい。何もできない自分の無力感をなだめるための行為でしかないような気すらする。ただ、これだけは言っておきたい。私は考えを放棄したわけではない。まだ準備ができてないだけだ。お前らもそうだろうと、信じているよ。

誰も信じるなよ
俺のことも信じるなよ
全部いらねえからさ
母さんが自分で探すんだ

映画<マザー>で、ドジュン(ウォンビン)の友達の台詞
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by no_tenki | 2009-06-15 19:07
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