俺の抱く偏見やら妄想やらを、もう少し書かないといけないようだ。

ガールフレンドに言ってやるのが最適な言葉だが…
この『レンズ』、自分が思っているよりも
お互いの距離は実際はずっと近いみたいだぜ by ジャイロ・ツェペリ



前回の記事で「特定人への愚痴」だった部分のつづきを書きました。
なぜ?余計な人を心配させたり反省させてしまったみたいだからです。
もうちょっと的を絞って書きますから、普通の人々は安心してください。

…のつもりだったけど、複数人がこっちゃになっててカオス状態ですが(苦笑
まあ、そもそも、「俺はこんな頭おかしいから察してくれよ」のつもりだったんで。













3年ぐらい前は期待してたっつっても、どーせ「この子は懐柔できそうだ」的な期待でしょ?そんな都合よくいくかね。ちゃんと人にモノ言って説得なんてのがしたいんなら、自分で何かして、大勢に向けて発信したほうがいいよ。たまたま目についた都合のよさそうな一人に期待したり薀蓄をたれたりするよかさ。でもあんたにそれは無理なんだろうね。あんたのそれは人を説得することでなく、騙すことになると私は考える。それは自分の都合で人を利用しようとする邪悪だ。それを今から説明しよう。

昔、自分の期待に沿ってないオレを朝鮮人的だと罵るあんたを見て、単にオレの無礼や行動に対する批判をするわけでなくて、それを朝鮮人的だとおっしゃるあんたの素顔を見て思ったのだけれど、別に朝鮮人という単語に帰属感情を持っているわけでも親しみを持っているわけでもないのに、なんで侮蔑された気になるんだろ?と考えてみたら、ああ、お前は○○○だからそうなのだ、みたいな話には、つまりそれを言われた側にとっては、一人格として認めてもらえていない、その人当人は消えているんだよな。という実感が持てて、なるほど、差別とはこういうことか。朝鮮人でも地球人でも呼び名が重要なんじゃなくて、その○○人という認識の中で個人が不在してしまう。個人の尊厳がなくなってしまうんだな。みたいなどっかの本にでも載ってそうな話をこの歳になって実感しました。ほんっと勉強になりましたよ。

でね。普段はきれいな言葉遣いしてるもんだから、丁寧に論理立てて話そうとするしさ、それで最初好感持ってたのも事実なんだけど、それって違うんだよね。見事に釣られてるんだよね。たぶんその本性を隠して取り繕ったり、考えに正当性を持たせるために、そんな様式にこだわってるんだろうな。きっと。まあ、当時はそこまでは考えなかったんだけど、とにかく、きれいでちゃんとした言葉遣いしてる人に、妙な不信感もってしまってさーネットってテキストのやり取りじゃん?しかもオレはいろんな日本人と接しているわけではないから、どうしても言葉遣いがそっくりな人に対して不信感を持ってしまうことになって、それまで仲良かった人、疑うようになったんだよねーこの人、こんなに丁寧なのは、実はうちに何か腹黒いもんを秘めてるんじゃないか?と。まあ、「そうじゃない」ってわかって、ほっとしたけどね。それを問い詰めたりはしなかったし密かに不安に思っていたんだが、一緒にゲームしてボイスチャットとかしながらあれこれ話していたらそうでないことがわかって、一人で安心したけど…日本の自称知韓派ってのが、あんたみたいな理論とソースと様式で武装して自分に正当性を持たせてしまっている、単なるレイシスト。でないことを祈るばかりだよ。

話を戻して、日帝時代(という言い方を使わせてください)に頑張ったんだけど、へまをすると「やっぱりチョーセンジン」といわれて蹴落とされ、あくまでも日本人そっくりになることでしか、自分自身を認めてもらえなかった、といった感じの歴史の人物たち(といってもそんな昔じゃないが)の話に、急に実感が持ててさ、やっぱり日本人であることを強要されたり、日本人でないと差別されるのは悔しくて悲しくて普通ではない状況なんだろうな。という想像ができたというか。法令云々して強制だったの強制じゃなかったの言い争ってるけどさ、つまりあれでしょ?あんたみたいな人が朝鮮に来てうようよしてて、立派な日本人ぶっていたし、それが社会の雰囲気まで作るにいたったってことなんじゃない?結局、国家や法律が時代像を決めるんじゃなくて、今生きている人間である個人が、当時の時代像を作るんじゃないの。おっと、オレも薀蓄が長すぎました。しかし、なんでお年寄りの方々が「チョーセンジン」という言葉に良い印象を抱いていなくて、眉をひそめてしまうのかがわかって、よかったと思うよ。こんな貴重な経験、現代じゃめったにできないから。感謝感謝。…でも時代錯誤だと思わない?

今の世の中、「向こうの連中がアレだから」という理由づけをしないかぎり、あからさまにそれをひけらかすことはできない。「良識のある日本人は、そんなことをしない」などといって自分を取り繕いながらも、「そのような扱いを受けるに値する連中だ」ということの証明を切望する自己矛盾。傍からみると不気味な光景だとは思えないのだろうか。

結局、「そんな連中がいてほしい」という希望でしかないのかもしれない。韓国のいわゆる反日(との一言で片付けられるものではないが)的なところや、それのネットによる露出は、「そんな連中、そんな社会、そんな国柄」を作り上げる格好の材料であったのだろう。

否定はし飽きたし、よそう。判断はお前さんの自由だ。しかし、その判断材料と結果にどっぷりハマっている自分のことを振り返ってみてはどうだろう。お前が韓国(朝鮮)に悪感情を持ったり蔑むようになったのが正当だとしても、ごく普通の人からすると、まあ、アレな人に思えてしまうわけだ。このブログを書いている俺こそがアレな国の人なんだから、それを言う資格はないし、俺こそがそう言われるべきだし、そう言われたくなければアレな人のアレな行為をやめさせろ。などとお前は言っただろう。俺は覚えている。しかし、もはやお前さんがアレな人になってしまってること自体が不幸だし大至急止めるべきことであると思わないだろうか?おれと違ってソースという言葉で表されるような限られた韓国情報の世界で生きている上に、悪意を隠そうともしない連中の色眼鏡を借りてしか韓国を直に体験できないお前さんの境遇は不幸だ。しかも、国粋主義とまでは言わないまでも、ちょっとした優越主義に毒されているように見えた。日本はたしかに出版文化の国だし、韓国はその足元にも及ばないほど本が売れないものだから日本のこと羨ましく思っているのも確かだけど、それがなんで、あんな話やこんな話と繋がってしまうのよ。暗い想像力だぞ。もはやバーチャルの韓国像の辻褄あわせが優先されているようにしか思えないんですけど。

おっと、もともとごっちゃにして書いてるって自覚はあったものの、ちょっと席外してから続き書いたせいで、途中から話の対象がまるで変わってしまった。話を「あんた」のほうに戻すと、自分を取り繕って正体を見せまいとするあなたは賢い。頭が良いとはそういうことだと思う。だから嫌いだね。ちょっとこういうの書くのは恥ずかしいしなんの根拠もない自分の中の観念みたいなものなんだけど、人と人が関わるとき、頭のよさなどをひけらかすよりもずっと大切なことは、ずばり正直さではないだろうか?それさえあれば頭の良し悪しなんていらないんじゃねーの?はい、恥ずかしい主張終わりwってか自分が淘汰されていく存在だって気づいたほうがいいよ。自分を良識的な日本人であるように見せ、韓国人・朝鮮人を貶めながら、私は差別意識など持っていない、正当な判断なのだ…といったふうに頭を使うのって、いくら良い頭でも宝の持ち腐れでしかないはずだが、そんなふうに頭を使わないと社会的には認めてもらえないってことだろう?だから、あんたのせいで「日本人不信」になりかけた俺だが、逆に、あんたのおかげで、日本も捨てたもんじゃないな。やっぱりあそこまで気持ち悪く頭めぐらせないと、面と向かって差別っぽいことはできないんだろうな。と思えたから、安心した部分もあるんだよ。いろいろと感謝してるし、あんたの思考&嗜好に文句はない。そう生まれついたのかそれを選んだのかわからないけど、それでいいならそのままでいいと思う。だけど肩身狭くありませんか?世界的に見ても、珍しいから余計ひどく見えるって部類でしょ。それを「自分は連中と違うから、遅れてるのは連中だから」って自慰しながら守り抜くのってつらくないですか?私ならやってられないな。だから、すごいと思うし、尊敬もする。でも、かかわりたくは無いw…なのになんでここまで書くのか、それは、あんた以外のすべての人に愛情を持っているからなんだ。あえて日本人や韓国人に限定しないけど、たとえば上に書いた「お前」だって、自分を取り繕うとしないで、本気の気持ちをぶつけてきたんだ(と俺は思う)から、悪いやつじゃないと思うし、だからこそ心配に思っているんだ。そんな、これから淘汰されていくような人間たちの饗宴に巻き込まれて過ごすには、あまりにも人生は美しすぎるから。(おっと、またロマンティシズムが過ぎたぜ!だっせ!!)

もしかすると、おれの考えは間違っていて、おれの友人(だといいな)が話したように、人間の世でそのような下劣な部分は付き物で、完全に淘汰されることはなくて、どこかにひそかに詰め込まれて、蓋を閉められてしまってるだけで、問題はまったく解決されないし、(ついでに人間はまったく進歩しないし)みんながずっと目をそらしているばかりで、そこにずっと存在してて、いずれ現実社会に影響を及ぼすのかもしれない。歴史の繰り返しってやつだ。実際に、日本のネットを見ていると、これはかなり猛威を振るっているようにも見えるのだ。しかし私は考える。そんなふうに他と比べたり相手の下劣さを理由にして自分を正当化したりするのはよして、今の世界のありようを見極め、それで楽観するにしろ悲観するにしろ、世界を今の自分を現状維持するためのツールにするわけではなく、1秒後にどんな自分になりたいか、ついでに、これからどんな世界になってほしいのか。それを考えてほしいと思う。みんなの頭と心はそのためにあるはずだ。願いを持って、叶えること。それが本当の自己実現ってもんじゃないのか。自己の肯定だって、腐るためではなく、花開くために必要なのだ。それが実在するものであれ虚構であれ、自分自身を貶めるようなものと付き合うのって、まったくクリエイティブじゃない。だから、ボクは日本で韓国に興味を持つネットユーザーらに同情する。「韓国と関わるな」という言葉に全面同意する。そんな時代逆行の働きをする韓国なら、自分の人生に組み込まないほうがいいのだ。どうか、韓国に、興味を、持たないでほしい。もしも、興味を持ったなら、韓国の言葉に興味を持ってほしい。そこから世界は変わってくる。と、私は思います。私は日本のいろんなものを直で、鈍いながらも私自身の感性で感じ取るために日本語と親しんでいるのだからです。自分語りがすぎるしロマンティシズムというより中2病がはじけ飛ぶのでこれぐらいにしとこう。しかし聞いてくれ。やっぱり俺はこの世界とお前らを愛しているんだ。それが先ほど読んだ某小説によって高揚されてしまった気持ちで単なる自己陶酔の願いでしかなくてもだ。世界は平和になってほしいし、今よりもっとよくなってほしい。そんな気持ちにさせてくれる人は日本にも韓国にもたくさんいるが、さきほど私をそんな気持ちにさせ、このエントリーをなんとか書き終えるように突き動かした日本語の小説とその作者に、感謝を記したい。それでちょっと自分に酔ってみたい。←余計

しかしやっぱり時間かけすぎた自分に後悔している。あーあー、ボクが幸せになるためには、こんなブログもうやめちゃったほうがいいよ。ってか、これが本当に最後のエントリーだよ。(と、なればいいが…)いや、たぶん、もう自分語りはやめて、別のことするから。いつになるとは言えないけど、ちょっと待っててください。それではみなさーん、失礼しました。
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by no_tenki | 2009-04-15 04:32
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